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テニスの郷 テニスの雑学など。

テニス肘のテーピング

テニス選手によく起こる肘周囲の痛みを「テニス肘」といいます。
しかし、これはテニス選手だけでなく、手をよく使う仕事、家事をする人にも起きます。

テニス肘の原因は、手首や指を伸ばすのに使う筋肉や腱の使いすぎです。
それにより、肘の外側上顆部の筋肉や腱が炎症を起こすのです。

テニスではラケットに当たる瞬間大きな衝撃が加わります。
これらの衝撃は蓄積され、患部を傷つけることになるのです。

テニス肘の治療は、運動の制限がとても大切です。
使いすぎが原因であることから、安静を保つことで徐々に症状は治まってきます。

炎症が治まってくると、テーピングやサポーターで補助を行いながらリハビリを開始します。
それが、テニス肘の基本的な治療の流れです。

テニス肘の場合、テーピングをすることで、関節の稼動範囲が制限されます。
また、テニス肘の障害の予防にもなります。

リハビリをするときは、テーピングによって関節と筋肉を安定させます。
そして、筋肉と腱への負荷をサポートしてくれるのです。

基本的にテーピングを行うのは、治療の効果を期待するものではありません。
間接などを補助するために行うのです。

尚、テニス肘により炎症が起きているときは、テーピングを行わないようしてください。
テーピングは、炎症が治まった状態で行うようにしてください。

リハビリ期に軽い運動をする際のテーピングは効果的です。
テーピングの種類や使い方を正しく行い、楽しく運動ができるようにしましょう。
テーピング | 投稿者 emurio 20:27 | コメント(0) | トラックバック(0)

テニスのランキングの話

テニスの世界ランキングの話題あれこれ。

日本男子テニス界では、1933(昭和8)年に世界ランキング3位に認定された佐藤次郎がトップ。
この当時の世界ランキングは、イギリスの批評家が選ぶものでした。

日本女子テニス界で世界ランキングトップは、伊達公子。
1994年、WTA世界ランキング9位に入り、翌年4位を記録。

日本テニス界では、その後、佐藤次郎の記録も伊達公子の記録も、いまだに破られないでいます。

1998年、マルセロ・リオスが、南米(チリ)の男子テニス選手として初の世界ランキング1位。
グスタボ・クエルテンは、2000年、南米(ブラジル)のテニスプレーヤーとして、初の年間最終ランキング1位を記録。

2002年2月、黒人女子テニスプレーヤーとして初の世界ランキング1位となったのは、ヴィーナス・ウィリアムズ。

2004年9月、フランス女子テニス界で、初めて世界ランキング1位を記録したのは、アメリ・モレスモ

2005年、ロシア人の女子テニスプレーヤーで、初の世界ランキング1位となったのは、マリア・シャラポワ

史上最年少で世界ランキング1位になったのは、マルチナ・ヒンギス。16歳6ヶ月のときでした。
モニカ・セレシュは17歳3ヶ月9日で、トレーシー・オースチンは17歳3ヶ月26日、マリア・シャラポワは、史上5番目の18歳4ヶ月で1位。
テニス全般 | 投稿者 emurio 12:26 | コメント(0) | トラックバック(0)

テニスのランキング

テニスのランキングは、ATP(男子プロテニス協会)・WTA(世界女子プロテニス協会)が、各大会ごとに決められたポイントの獲得をもとに、決定しています。
どちらも、1975年から、コンピュータランキングを導入しています。

テニスのランキング発表は、1週間ごとにあります。
ということは、毎週世界のどこかで行われている試合に参加しなければ、ランキングが上がらないということになります。

とはいえ、ポイントを獲得できる大会数は限られているため、大きな大会でポイントを上げることが、ランキングを上げることにつながるといいます。

テニスの世界ランキング1位最長保持記録者は、
男子では286週のピート・サンプラス、女子では377週のシュテフィ・グラフがトップです。

男子歴代2位は、イワン・レンドルの279週、男子歴代3位は、ジミー・コナーズの268週。1年は52週なので、シュテフィ・グラフの記録がケタ違いのランキングであることがわかります。
テニス全般 | 投稿者 emurio 11:22 | コメント(0) | トラックバック(0)

テニスの歴史に残るプレーヤー

テニスの歴史に残るプレーヤーといえば、ドイツのシュテフィ・グラフ。

1988年、テニス四大大会のほか、オリンピックでも金メダルを獲得、ゴールデン・スラムと呼ばれる偉業をなしとげました。

年間グランドスラム(テニス四大大会優勝)を最初になしとげた男子プレーヤーは、1938年のドン・バッジ。女子では、1953年のモーリーン・コノリー。どちらもアメリカの選手で、テニスの歴史に残る業績を残しています。

国際テニス殿堂入りをした、ビョルン・ボルグや、ジョン・マッケンローなども忘れられないでしょう。

日本のテニスの歴史に残るプレーヤーといえば、1920年(大正9年)にアントワープ五輪で銀となった熊谷一弥。

佐藤次郎は、1933(昭和8)年、世界ランキング3位に認定されています。

伊達公子も世界で記録を残したのは記憶に新しいところで、シュテフィ・グラフとの激戦など、日本のテニスの歴史に名を残すプレーヤーとなりました。
テニスの歴史 | 投稿者 emurio 07:51 | コメント(0) | トラックバック(0)

テニスの歴史

テニスの歴史は、紀元前15世紀ごろのエジプトの壁画に源流を確認することができるといわれ、4000年前のエジプトには、ボールや今のラケットに似たものがあったとされています。

この球技は、古代ローマ帝国でもおこなわれていたそうです。

8世紀フランスでは、ラ・ソーユと呼ばれる球技が起こり、11世紀以降、中世フランスの修道院では、「ジュ・ド・ポーム(手のひらゲーム)」という、文字どおりの手のひらを使ったゲームが隆盛しました。

イスラム教徒が宗教的行為としておこなっていたものを、キリスト教徒が模倣をしたといわれています。

その頃は、手のひらや手袋でボールを打ち合っており、現在のラケットの原型が登場したのは、14世紀のイタリアであるといわれています。

初の国際大会は、1505年に開催されました。

ヴェルサイユ宮殿にはテニスコートがあり、フランス革命直前1789年6月20日の「テニスコートの誓い」は、歴史的に有名な事件として知られています。

現在のような形のテニスの歴史は、1873年12月、イギリスのウォルター・クロプトン・ウイングフィールド少佐が「ローンテニス」というパンフレットを作成・発表したことに由来します。彼は、1874年2月23日、このゲームに3年の特許を取り、テニス用具セットも販売しました。

またたく間に広まったローンテニスの競技は、その後、改良が加えられ、そして、1877年には、第1回ウィンブルドン大会が開催されました。

その後、1881年に全米のシングルス選手権、1891年には、フランス選手権、1905年にはオーストラレーシア選手権が開催され、世界的な競技となっています。
テニスの歴史 | 投稿者 emurio 08:18 | コメント(0) | トラックバック(0)
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